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ジャズってどんな音楽?発祥や歴史、ジャズのあれこれ!

更新日:2024年10月31日


こんなモヤモヤありませんか?


"ジャズってかっこいい!!もっと深く知りたいけど、レベル高そうだし難しそう…" "ジャズ楽曲やジャズアレンジが好き!でもたくさんありすぎて、どうやって探したらいいかわからない…"

"ジャズってイメージはあるけど、言葉で説明するのはなんか難しい…"

"ジャズってどうやって始まったんだろう?どんな歴史があるんだろう?"



 

「ジャズを簡潔に、しかも筋を通して定義しようとする試みは

例外なく徒労に終わってきた。」


(ニューグローブ世界音楽大辞典8p73 講談社)


 


また、ジャズと言えば、即興演奏(アドリブ)やスイング(スウィング)のイメージを持っている人もいると思います。 実はジャズが生まれてから20年ほどは、ジャズに即興演奏やスイング(スウィング)のジャンルはありませんでした。驚きませんか?


だから、ジャズに関して簡単に説明することができないのは当然だと思うので安心してください。


ここでは、ジャズの発祥から現代までのあまり知らなかった歴史やアレンジなどを分かりやすく紹介していきたいと思います。知れば知るほどジャズって、奥深いな…と感じるかもしれません。


ジャズの起源


ジャズの発祥は、20世紀初めのアメリカ南部にあるニューオリンズ[New Orleans]が中心であったとされています。


ニューオリンズ、またはその近郊では、ジャズあるいはジャズ関連の音楽を演奏するチャンスがたくさんありました。そこから、初期の有名なミュージシャンが数多く生まれたのです。


アメリカで奴隷であった黒人音楽に、西洋の白人音楽が加わって生まれた音楽が原形となり、発展していったジャンルがジャズです。ジャズにはスピリチュアル、ブルース、ラグタイムの要素も含まれています。


なぜニューオーリンズが発祥といわれているのか?


かつてアメリカでは、多くの黒人奴隷たちが労働に従事させられていました。

黒人奴隷は、最初は西インド諸島を経由して連れて行かれていましたが、やがて、アフリカから直接北米に連れて行かれるようになりました。

奴隷とされてしまった黒人たちは彼らが使っていた言語や習慣をすべて捨てて、連れて来られた場所の言語を覚え、白人の生活の習慣に慣れなければなりませんでした。


黒人奴隷の中には、白人の主人の子どもを産まされる人もいました。

特に、ニューオーリンズ周辺では、白人と黒人のダブル(混血児)は“クリオール”と言われ、特殊な地位を獲得していました。

その彼らが、ジャズが誕生するのに重要な役割を担っていたそうです。ニューオーリンズ以外の地域では、黒人の血が混じった人たちは例外なく「黒人」でした。


クリオールって?


クリオールとは、白人と黒人のダブル(またはその子孫)を言います。

当時はまだ黒人差別が残っていた時代なのですが、ニューオーリンズでは白人と黒人の子どもは「白人」とされ、高等な教育を受けることができました。

黒人の文化を持ちながらも、白人と同じ教育と欧州スタイルの音楽教育を受けることができた黒人が生まれました。


しかし、南北戦争(1861~1865)で北軍が勝利し、奴隷解放令が発令されると事態は一変しました。

奴隷解放令により、南部の大農貴族は、安い労働力(黒人奴隷)を手放さなければなりませんでした。そのことで彼らの憎悪は、北部の白人だけでなく、肌の色は白くないのに白人と同じ生活を送っていた“クリオール”にも向けられました。


そんな時代の中で、生活や立場が変わってしまった“クリオール”と人種的偏見が消えない現状に苦しんでいた黒人は、音楽に救いを求めるようになりました。



ジャズの原型


奴隷として連れて来られた彼らは、アメリカに来てから聞き馴染んだ欧州音楽を、打楽器を中心とした黒人特有のリズム感でアレンジして演奏しました。


南北戦争が終わると、敗れた南軍の音楽隊が解散し、多数の楽器が安い値で売られました。黒人たちはこの楽器を手に入れ、見よう見まねで演奏し始めました。アフロ・アメリカン・スタイルという形で行進曲をアレンジし、今のジャズに近いものを当時は演奏していたそうです。


そして、「新しく」黒人扱いされるようになった“クリオール”もそこに加わり、彼らが学んだ西洋音楽の要素を持ち込むことで、アメリカの黒人音楽は独自に発展していきました。楽譜が読めない黒人の持っている独特なリズム感あふれる自己流の演奏を、西洋音楽を知る“クリオール”がまとめたそうです。こうして黒人ブラスバンドが結成され、白人ブラスバンドにはない躍動感のある音楽が生まれました。



ジェリー・ロール・モートン(Jelly Roll Morton)


1910年代にカリスマ的なプレーヤ―、ジェリー・ロール・モートンがボードヴィルショーの巡業で、南部の各州を回った際に演奏したことで、ジャズが広く知られるようにもなったそうです。「彼はまた、この音楽の性質と可能性についても確固たる一般原則を持っている、最初のジャズマンであった。」(ニューグローブ世界音楽大辞典8p77 講談社)



彼は、「自分の曲の多くを「ブルース」と呼んでいましたが、現在では、ブルースとは別のジャンルであるジャズの始まりだとみなされています。」(音楽の進化史p350)彼は最初のジャズ作曲家で、初期のジャズの業績を合わせつつも、ジャズの新しい方向性を切り開いていきました。


ある楽曲では、アドリブの部分と作曲の部分を絡めて緊密な関係を生み出して、音楽で討論をしているかのような、互いに一緒に参加しているような音楽を作りました。


モートン代表作「The Crave」「King Porter Stomp」「Pretty Baby」「Steamboat Stomp」など




BCIキーボーディストによる -「King Porter Stomp」
King Porter StompJelly Roll Morton

 

ジャズの種類


人物名の下に線のある人は後で下のほうで紹介しています。



ディキシーランドジャズ


1917年ニューオリンズ出身の白人バンド、オリジナル・ディキシーランド・ジャズ・バンド(Original Dixieland Jazz Band、ODJB)が、ジャズでは初の商業用レコードを発売しました。


ODJBの人気の1つとして、見当違いの評論がおびただしい程あったそうですが、これは大衆がジャズの存在を認めた最初のことでした。これがきっかけとなり、ODJBはジャズ・グループとして初のアメリカ国外で演奏することができました。またイギリスでは数ヶ月間公演し、アメリカに引けをとらないぐらいの評価を得たそうです。



初期のジャズは、マーチングバンドと20世紀の初めに流行っていたダンスミュージックの影響を受けています。ジャズといえばブラス(金管楽器)・リード(木管楽器)・ドラムスの組み合わせですが、その影響もここからきているそうです。


ジャズと音楽理論が融合していったのは、ジャズが黒人社会に広く普及していき、古典的なヨーロッパの音楽理論を学んだアフリカ系黒人ミュージシャンがジャズに反映させていったことにより生まれました。1920年代には、イギリスでもジャズが流行っていきました。




シカゴ・スタイル


1920年代。ジャズはニューオリンズを追われてシカゴに流れ、そこで定着しました。キング・オリバー(King Oliver)、ジョニー・ドッズ(Johnny Dodds)、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)などが、シカゴのダンスホールやカフェ、劇場などで、ニューオリンズ生粋のジャズを演奏していました。


黒人に対する人権偏見がとても強かった時代に、白人の少年たちはこれらの黒人の芸術を立派なものだとして尊敬していました。白人の彼らは、黒人のジャズの精神を、白人の知性をとおして見ていました。それにより、ニューオリンズ・スタイルとも、ディキシーランドともいえない、芸術的な演奏がうまれました。


しかし、それまで真面目だった音楽青年たちは、人気を気にするようになり、スイングの技法を入れたり、人気のバンドの方法に惹かれて、だんだん情熱を失っていきました。なので、純粋なシカゴ・スタイルのレコードは両手で数えるほどしか無いそうです。同じメンバーで演奏・録音したとしても、シカゴ・スタイルとは言えないものが多いようです。

そんなこんなで、シカゴ・スタイルは、スタイルとして実在したのかさえも疑われています。


最近では、ディキシーランド・スタイルではなかったのではないか。とも言われています。



キング・オリバー(King Oliver)


コルネット奏者。なんと、ルイ・アームストロングの先生だったそうです。


1923年の彼の率いるクレオール・バンドは、ジャズをブルース、行進曲、ラグ、賛歌の要素を融合しさらにまとまった形にしていったそうです。「彼の作品は、ジャズの積極的な価値を示した最初ものであり、長く音楽的な意義をとどめている。その表現内容の深さは、集団と個人の技量を結合した結果生じる、統制のとれた演奏および一体化した感情表現に明確に表れている。若き日のルイ・アームストロングを含む彼のグループは、むしろその当時に確立された手法を出発点として利用し、演奏者個人の解釈を通じてそのスタイルを強化していった。」(ニューグローブ世界音楽大辞典8p76 講談社 )


楽曲「High Society Rag」「Canal Street Blues」「West End Blues」「Too Late」など


BCIキーボーディストによる「Too Late」
Too LateKing Oliver


ジョニー・ドッズ(Johnny Dodds)


クラリネット奏者であり、アルトサックスの奏者でもありました。


音楽家としてプロ意識も高く、技巧、彼の心から生み出る濃密なブルースを味わわせるスタイルが有名で、後に出てくるクラリネット奏者たちに重要な影響を与えました。


楽曲「Wild Man Blues」「Piggly Wiggly」「Melancholy」など


BCIギタリストによる「Melancholy」
MelancholyJohnny Dodds

 

オーケストラル・ジャズ


ジャズが活躍していたとき、オーケストラル・ジャズと呼ばれる一貫したスタイルのジャンルがありました。


これは、フレッチャー・ヘンダーソン(Fletcher Henderson)楽団の編曲家のドン・レッドマン(Don Redman)の功績とされています。ここから、アーサー・ブライアーのコロンビアオーケストラやティム・ブリムのフォーティ・ブラック・デヴィルズ、フレッド・ブライアン率いるフィフティー・メリー・モーグルズなど、大きなグループがニューヨークを中心に登場しました。



楽器編成の暗示するバランスとスコアが標準化されるようになったのは、1930年代に入ってからでした。レッドマンがヘンダーソンのために書いた曲「Houston Blues」は当時、最も独創性の富んでいる曲でした。

ブラスとリードのセクション間の掛け合いによるデュエットで、これは単純で多くの場合に効果的な方法でした。30年代のスイング音楽では非常に一般的な方法となりました。


しかし、労働歌や会衆による宗教音楽の呼びかけと応答のパターンは、ホワイトマン楽団の楽曲にすでに用いられていました。


大編成ジャズ・グループのための作曲の基本の確立という点において、レッドマンが果たした役割は疑いの余地がありません。


また、ヘンダーソンが残した数多くのレコードの音楽価値は、彼が雇い入れた、極めて多くの才能あるソロ奏者の即興演奏(アドリブ)の業績でもありました。

このソロ奏者の中に、ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)のほか、トランペット奏者のジョー・スミス、ロイ・エルドリッジら、トロンボーン奏者のチャーリー・グリーン、ベニー・モートン、アルトサックス奏者のベニー・カーター、テナーサックス奏者のコールマン・ホーキンズ、チュー・ベリーらが在籍していました。


ちなみに、オーケストラル・ジャズの楽器編成は、コルネット3・4人、トロンボーン1~3人、フルート1人、クラリネット1・2人、ヴァイオリン2人、チューバ、打楽器1人。ピッコロやアルトサックス、テナーサックス、バリトンサックス、ホルンを追加して大編成のオーケストラで演奏されていたそうです。

楽団や楽曲により、コルネット7人、フルート3人、またバンジョー、マンドリンなどの楽器も追加して演奏したそうです。


フレッチャー・ヘンダーソン(Fletcher Henderson)


「Suger Foot Stomp」「Wrappin' It Up」「I'm Coming Virginia」など


ジャズピアニストで作曲・編曲家。ベニー・グッドマン楽団の編曲を担当したスイングジャズ界の重要人物と言われています。



ドン・レッドマン(Don Redman)


サックス奏者。フレッチャー・ヘンダーソン楽団の編曲家。フリーランスとして作曲・編曲もしていた。「How'm I Doin?」「I Heard」など





 

ピアノ・ジャズ


多くのソロ・ピアニストたちは、より積極的な方法でジャズを拡大していきました。単なるテクニックの自慢ではなく、リズム、和声、テクスチュアにおける新しい技法を吸収するための手段としての方法を作り出しました。


ジェイムズ・P・ジョンソン(James Price Johnson)やラッキー・ロバーツ(Luckey Roberts)をはじめとする、レコードさえも残っていないニューヨークのミュージシャンたちが、ピアノ・ジャズの基礎を築いていきました。

彼らは貪欲に音楽を聴き、ジャズからかけ離れた音楽に耳を傾けました。ジョンソンがレコーディングした曲「Mule Walk」には、カントリー・ダンス音楽の持つ田舎風のムードがあります。

この雰囲気と洗練性との調和は、ジャズにおいてよりスムーズなリズムの継続性、より均等な4/4拍子を確立するために必要でした。


レッドマンがヘンダソンのために書いた後期のスコアには、ジョンソンの根底にある4/4拍子のうえに3拍子パターンがたくさん重ねられています。


ジェイムズ・P・ジョンソン(James Price Johnson)


ジャズピアニスト。スライドピアノ(ハーレムスタイル)の父と呼ばれていた。


彼の母親は、メソジスト教会の聖歌隊やピアニストも努めていたそうです。幼少期から絶対音感があった彼は、毎日ラグタイムの音楽を聴き演奏し、優れた技術と音楽的才能を培っていき、18歳ではピアニストとして最初の仕事をしたそうです。


「Charleston」「Carolina Shout」「You've Got to Be Modernistic」など


BCIキーボーディストによる「Carolina Shout」
Carolina ShoutJames Price Johnson


ラッキー・ロバーツ(Luckey Roberts)


ジャズピアニストで作曲家。「Ripples of the Nile」「Music Box Rag」「Nothin'」など






BCIキーボーディストによる「Music Box Rag」
Music Box RagLuckey Roberts

 

スイング(スウィング)ジャズの時代


1930年代は、スイングジャズ全盛期の時代です。ソロ演奏が重要視されるようになりました。ソロを際立たせる手法の1つとして、小編成バンドの規模が拡大していきました。これにより、ビッグ・バンドスタイルによるスイングジャズが確立されました。


この背景にも、人種的バリアで隔てられていた黒人ミュージシャンと白人ミュージシャンの橋渡しとしての役割を果たした“クレオール”の存在がありました。


スイングジャズは、アレンジャーとバンドリーダーの立場がより重要視されるものでした。特に、代表的なバンドリーダーの1人であるルイ・アームストロング(Louis Armstrong)の存在は、ジャズとヴォーカルとの融合という面において重要な役割を果たしました。


クラリネット奏者のベニー・グッドマン(Benny Goodman 〔今後紹介〕)やトロンボーン奏者のグレン・ミラー(Glenn Miller)などの、白人のミュージシャンが自らのビックバンドと一緒に、数々の大ヒット曲を生みだしました。ジャズのスタンダード曲、「Sing,sing,sing」 (Benny Goodman)、「Moonlight Serenade」 (Glenn Miller)はこの頃に作曲されました。


BCIギタリストによる「Sing,sing,sing」
Sing,sing,singBenny Goodman

BCIキーボーディストによる「Sing,sing,sing」
Sing,sing,singBenny Goodman

BCIギタリストによる「Moonlight Serenade」
Moonlight SerenadeGlenn Miller

BCIキーボーディストによる「Moonlight Serenade」
Moonlight SerenadeGlenn Miller


グレン・ミラー(Glenn Miller)


トロンボーン奏者。作曲・編曲家。バンドリーダーで、グレンミラーオーケストラ(Glenn Miller Orchestra)を結成しました。


「In the Mood」「American Patrol」など




BCIキーボーディストによる「American Patrol」
American PatrolGlenn Miller

時代によって変化していった音楽性は、次第に洗練されていきました。

それは、演奏者自身の認識が変化していったことでもあります。1930年代以降も、ジャズの演奏者の多くは基本的に自らを職業的娯楽提供者と考えていました。


しかし、楽器演奏の技術が上がるにつれ、専門職としての自覚が生まれました。ジャズを芸術として認識するような人も現れていったようです。


この時期のジャズは、明るくスインギーなリズムが特徴です。スイング時代の末期にはビ・バップが起こり、モダン・ジャズへと発展されました。


 


モダンジャズ


1940年代に入ると第二次世界大戦の影響で、景気が悪くなりビッグバンドが衰退していきました。

アレンジを追及した、スイングジャズとは異なる方向性を求めるミュージシャンにより、即興演奏(アドリブ)を主体としたビバップ等の新しいスタイルが模索されるようになりました。


1942年8月から1943年秋にかけて、アメリカで大規模なレコーディング・ストライキがあったそうで、初期ビバップの録音はわずかしか残されていません。


1940年代後半には、アルトサックス奏者のチャーリー・パーカー(Charlie Parker)、ディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)等が多くの録音を残しました。彼らのセンスと演奏技術に基づいたアドリブ演奏は、瞬く間にジャズシーンに流行しました。

これが、ビバップの始まりであり、モダンジャズの始まりでもあります。


ディジー・ガレスピー(Dizzy Gillespie)


トランペット奏者。バンドリーダー。作曲家。


頬をいっぱいに膨らませて、高らかなトーンで豪快かつテクニカルに演奏するスタイルで人気がありました。


彼の吹くトランペットは、途中で折れ曲がっていてベルが上を向いているものでした。その曲がったトランペットが彼のトレードマークです。


「Groovin' High」「Manteca」など





モダンジャズの特徴


演奏の芸術性が高くなった分、「難解」なイメージを持たれるようになりました。


1950年代以降、トランペッターのマイルス・デイビス(Miles Davis)の作品で、モード・ジャズという手法が試みられ、即興演奏(アドリブ)の自由度が増しました。


モダン・ジャズと言っても、バップ、クール、ハード・バップなど時代の変化に合わせスタイルが変わっていったそうです。(バップ、クール、ハード・バップについてはいずれ。)



マイルス・デイビス(Miles Davis)


トランペット奏者。作曲・編曲家。チャーリー・パーカー(Charlie Parker)のバンドに入っていました。ビバップの革命のときに重要な役割を果たしました。


「So What」「Kind of Blue」など



教会音楽的要素?


モダン・ジャズには教会音楽的、要素が含まれています。


ジャズピアニストのホレス・シルヴァー(Horace Silver)「The Preacher(説教師)」、ジャズアルトサックス奏者キャノンボール・アダレイ(Cannonball Adderley)「Sermonette(小さな説教)」のように、曲名に教会が関連したものもあります。


黒人は奴隷時代からキリスト教の神さまへの厚い信仰もあり、教会歌と言われるものの古くは黒人霊歌に代表され、“ゴスペル・ソング”と呼ばれる教会歌もあります。


ところで、古いニューオリンズ・ジャズ時代に、宗教に関した曲が沢山生まれていたということに驚きでもあります。教会音楽は悲しげな一面と共に、他の半面では歓喜に満ち溢れています。



ホレス・シルヴァー(Horace Silver)


ジャズピアニスト。彼はゴスペル音楽やアフリカ音楽、ラテン音楽など幅広い音楽スタイルの影響を受けている。ファンキージャズの代表的なアーティスト。


「Song for My Father」「Opus De Funk」「Peace」など


BCIキーボーディストによる「Opus De Funk」
Opus De FunkHorace Silver

 

ジャズの多様性


1940年以降、約15年間のジャズの動きとしては、行き詰まったスイング・ジャズが、ビバップの発生を促しました。そしてバップの行き過ぎた部分が調節され、クールとなり、クールの行き過ぎた部分も調節され、今日のいわゆるモダン・ジャズに発展していきました。


1960年代までのジャズは、一部の楽器(エレキ、ハモンドオルガンなど)を除けば、アコースティックが主流でした。アルトサックス奏者のオーネット・コールマン(Ornette Coleman)がこの年からフリージャズを演奏し始めました。これが、ほかのミュージシャンたちに衝撃を与え、演奏を極めていたミュージシャンたちは、自分のセンスを極限まで試したい!そんな思いで演奏に自由を求める傾向にあったようです。


フリージャズは当時、大物ミュージシャンであったテナーサックス奏者のジョン・コルトーレン(John Coltrane)やソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)にも大きな影響を与えました。1960年代には、マイルス・デイビス(Miles Davis)がジャズとロックの融合を試みた「ビッチェズ・ブリュー」がヒットしました。


そして1970年代に入り、ジャズは若い世代の間に生まれつつあった新しい感性に訴え、軽いタッチのポップ性を盛り込んでいきました。ロックのリズムやビート、電子サウンド、あるいは異なる音楽とのフュージョンをキーワードに、社会の内省化や保守化、物質的豊かさを背景として人気を得ました。この音楽は、60年代ジャズの反動として生まれ、やがてポスト・モダンの流れにも同調しました。

エレクトリック楽器を導入したバンドも生まれ、ジャズフュージョンと呼ばれるスタイルに発展していきました。


20世紀の音楽のほとんどは、ジャズの影響を受けてきており、ディキシーランド・ジャズは、今も全世界の若いミュージシャンにより演奏されているそうです。



オーネット・コールマン(Ornette Coleman)


サックス奏者。アルトサックス以外にもトランペットやヴァイオリンの演奏もでき、フリージャズの先駆者。「Lorraine」「Zig Zag」「Him and Her」など






















ジョン・コルトーレン(John Coltrane)


テナーサックス奏者。第一線で活躍したのは、無名の時期が長かったため10年ほどだった。


自分の音楽に満足せず、諦めずに前進し続け20世紀にジャズの巨人の1人となった人物。「My Favorite Things」「Alabama」「Straight street」など



ソニー・ロリンズ(Sonny Rollins)


テナーサックス奏者。ジャズ界の最後の巨人といわれている。80歳を超えてた今も、現役で世界中を回り演奏している。


日本には24回来日したことがある。ステージでは、何も考えないようにし、自然と出てくる音楽を演奏している。


良い演奏のため、毎日練習をかかさない。アドリブやリラックスした演奏で多くのジャズファンから評価されている。「St.thomas」「My One and Only Love」「No Problem」など


BCIキーボーディストによる「St.thomas」

St.ThomasSonny Rollins

 

ジャズ界で有名なアーティストを紹介! 


ジャズの父!

ルイ・アームストロング(Louis Armstrong)


1920~1930年代にニューオーリンズ、シカゴ、ニューヨークと活躍した演奏者。


影響力のあるミュージシャンで、彼のいるところこそが「ジャズの中心」と言われるほどでした。


トランペット奏者である彼の、より攻撃的な輝かしいソロは強い影響を与えました。想像力豊かな演奏は、あらゆる楽器におけるジャズの即興の可能性をさらに切り開いていきました。


彼の演奏実力は当然のこと、独特なダミ声を活かしたボーカルと共に、長くジャズシーンで活躍しました。今ではジャズボーカリストが普通にしているスキャット(リズムにのってドゥビドゥバと歌う)も彼が最初にしました。


彼のテクニックは冴えていて、その才気に満ちるミュージカル・アイディアは尽きることなく、ジャズ芸術の頂点を示しました。


ルイ・アームストロングの現地録音されたレコードを聴くと聴衆がとんでもないところで、ゲラゲラと笑っているのが聴こえてきます。

ある箇所は、たしかにアームストロングが、目を見開いて、おかしな表情で笑わせているところや、あるいは英語の慣用語のシラブル(綴りにともなうアクセント)を変えて歌詞をつくりかえ、自在の表情を用いて笑わせるところもあったそうです。


しかし彼に対して、大いに惜しまれていることがあります。それは、当時のジャズ・ミュージシャンに倣ってポピュラーなバラッドに演奏方法を変えてしまったこと。

しかもこのような曲が、ジャズというほとんど閉ざされた社会によってでなく、出版業の商業主義的営利事業のよって生み出されたということです。


彼の楽曲は「Beau Koo Jack」「What a Wonderful World」「Shine」「La Cucaracha」などです。


BCIキーボーディストによる「What a Wonderful World」

What a wonderful worldLouis Armstrong

BCIキーボーディストによる「La Cucaracha」

La CucarachaLouis Armstrong

チャーリー・パーカー(Charlie Parker)


彼はアルトサックス奏者でした。


芸術家としての即興演奏を、新しい意味で完成に導きました。


しかし、彼には麻薬依存症と精神病と、胃潰瘍という個人的な病がありました。

そのうえ、なんの意図もインスピレーションも浮かばないままに、ダラダラと演奏し終えた作品も少なくありません。


「Lover Man」という曲は1946年に、ダイアル・レコードで吹き込まれた楽曲です。

この曲は麻薬が切れ、禁断症状が悪化しほとんど無意識状態の中で、精神と肉体に責め苛まれた状態でした。彼が苦しい息の下からたどたどしく、やっとのことで吹き終えた支離滅裂な作品です。聞いているほうも息が詰まりそうな迫力のある曲です。


事実、録音後の彼は、マイクの前で昏倒し半年間もの療養生活を送ったそうです。退院後に吹き込んだ曲は、「Relaxin' at Camarillo」「Charlie Parker Vol,2」はハツラツと演奏されています。


この頃のチャーリー・パーカーをモデルにした小説があります。作者はElliot Grennard、題名は「Sparrow's Last Jump」です。ここでは、パーカーはスパロー・ジョーンズというテナーサックス奏者となって登場しています。そのためパーカーが、テナーサックスを吹いている曲が7つ残っています。「リトル・ウィリー・リープス」「マイルストーンズ」「ハーフ・ネルソン」など。


パーカーは和声に対して持つ新鮮な着想がありました。モダン・ジャズの祖先の1人として、またジャズの生んだ天才の1人として、永遠に光彩を放っています。


彼の楽曲は「Lover Man」「Now's the Time」「Confirmation」「Donna Lee」 など



まとめ


ジャズの発祥は、黒人と白人が共に生活することができていた時代のニューオリンズ。

そこで黒人と白人の間に生まれた子ども“クリオール”たちが、ジャズに影響を与えた。


クリオールと黒人の心の痛みや叫び、聖歌も含め音楽にしたものである。時代の流れに影響し、ジャズの音楽性も変化していった。


そんな中、出てきて有名になった数知れぬソロミュージシャンたち。互いに影響を与え合い、黒人に対する偏見が強かった時代にも輝かしい功績を残した。黒人の音楽に憧れる白人の若者も出てきた。

そしてジャズは今も昔も影響を与え、たくさんの人の言葉に出来ない心を音に変えている。



*音源はBCI音楽ディレクターのギター、BCIキーボーディストによる演奏、編集による音源です。*

参考図書

・ハワードグッドール『音楽の進化史』、河出書房新社、2014年。・油井正一『生きているジャズ史』、立東舎、2016年。・『ニューグローブ世界音楽大事典8』、講談社、1993年。

参考Webページ

Jazz起源 http://music.geocities.jp/fujirock_jazz/jazzhistory.html 2018.12.5現在→2020.7.9現在HP閉鎖確認済ジャズ誕生の背景 http://yiaowang.web.fc2.com/hobby/jazz/history_0101.html 2018.12.5現在ジャズの歴史を簡単におさらいする(1900~1980年頃)http://www.kazulog.com/entry/jazz20170805 2018.12.5現在初心者でもわかるジャズピアノCD名盤、名演まとめ http://jazzpiano.nerim.co.jp 2019.1.17現在

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